僕が博士課程に進まない理由

ルームメイトはPh.Dを取得するつもりらしい.お前はなんでPh.Dに行かないのか,と言われて答えようとしたのだけど,うまく伝えきる事が出来なかったような気がする.せっかく真剣に話してくれたので,ここに文章として自分の答えを残しておきたい(彼は日本語は読めないので僕の自己満足だけど).

なぜ僕がPh.Dを取得しようとしないのか.

本当に世界を変えるようなアイディアはアカデミアから生まれるとルームメイトが言っていた.その通りだと思う.一方で,自分が博士課程に進んだときにそうしたアイディアを生めるかというと,微塵も自信が無い.僕は他人に認められるのが好きで,中途半端に賢いから,適当にそれなりの業績が出るような「研究」をするだろう.

Ph.Dの仕事は世界の外側を少しだけ押し広げて,まだ誰も知らないものを世の中に伝えることだ.とても尊い仕事であると思う.どこを押し広げる事ができて,それによってどんなインパクトを世に与えられるのかは,実際にやってみないとわからないことも多いだろう.数多の巨人たちが気の遠くなるような努力を費やして,世界は少しづつ,だけど着実に広がっていく.

自分もその一人になれたら良いなあと考えることはあったけど,今は別次元の話のように思える.研究室に籍を置かせてもらって一年以上経って,国際会議に投稿・発表もさせてもらったし,世の論文もいろいろ読んだし,輪講会では物知り顔でコメントをするけれど,いまだに「研究」というものがなんなのかよくわからない.

世の研究を見てそれらしい問題をでっち上げて,どこかで見たような方法で解決し,解決したように見えるような評価と,ちゃんと欠点もわかってるような考察を書く.一年くらいかけてこんなことをやっていて,しかも論文に起こしてみると論旨がぐちゃぐちゃだったりする.論文に残らない努力は徒労でしかなく,バグだらけのでっちあげプログラムが上手く働くケースを必死で探しだす.

論文を世に出すために,同じような文章を何度もこねくりまわし句読点の位置を変え,自分に都合の良い角度から関連研究との差分を主張する.もちろんこれは世界のどこを広げることが出来たのか世に伝えるために必要なステップではあるけれど.研究者が1000時間持っていたとして,どれだけの時間が「世界を広げる」ために使えるだろうか.苦しい山を超えた向こうに,ほとんど変わらない世界が待っていたとしても,歩みを続ける覚悟はあるだろうか.自分には,そこまでの覚悟をもって「研究」をすることが出来ないな,と思う.「好きだから研究をする」といのもよく聞く話ではあるけれど,「研究」が好きという状態も体験したことがないのでよくわからない.

結局のところ,覚悟が無いので逃げ出すということなのだろうし,Ph.Dに対するコンプレックスは今後も背負っていくことになるのだろうな,と思う.改めてまとめてみたけど,今日みたいに真剣な相手にPh.Dを目指さない理由を聞かれると回答に窮する他無いのかもしれないな,と思う.